退職金が払えない場合の経営判断と法的リスク|未払いを回避し会社を守るための資金繰り・救済制度の全知識
会社を支え続けてくれた従業員の引退。本来であれば、経営者として感謝の意とともに十分な退職金を包み、笑顔で送り出したいものです。しかし、現実は非情です。長引く景気の低迷、予期せぬ原材料費の高騰、あるいは主力事業の衰退。いざ退職の時を迎えたとき、会社の口座にある残高が、就業規則に定められた退職金額に満たないという事態は、決して珍しいことではありません。
「退職金規定(就業規則)には書いているが、今のキャッシュフローでは到底無理だ」 「倒産を回避するための運転資金で精一杯で、退職金まで手が回らない」 「払えないと言ったら、労働基準監督署に通報されたり、裁判になったりするのだろうか」
こうした不安に苛まれる経営者の苦悩は、想像に絶します。退職金は、多くの従業員にとって「老後の生活設計」の柱であり、第二の人生を支える軍資金です。それが支払われないとなれば、これまでの信頼関係は一瞬で崩壊し、法的紛争へと発展するリスクが極めて高くなります。
しかし、ここで経営者が最も避けるべきは、「どうせ払えないから」と説明を放棄したり、独断で「なし」にしたりすることです。
退職金制度は、一度設けてしまえば、それは労働契約の一部として法的な拘束力を持ちます。安易な未払いは、会社だけでなく経営者個人の社会的信用を失墜させ、さらなる経済的損失を招くことになります。
本記事では、「退職金が払えない」という窮地に立たされた経営者の皆様に向け、未払いが招く法的リスクの正体から、資金繰りが苦しい時の「分割交渉」の手順、公的な「未払賃金立替払制度」の活用法、そして将来の未払いリスクをゼロにするための「退職金共済」への移行策まで徹底解説します。
誠実な対応と法的な知識を組み合わせることで、会社を存続させつつ、従業員の権利を可能な限り守るための「最善の出口戦略」を導き出しましょう。
目次
退職金未払いは「労働基準法違反」の債務である。放置せず、即座に「分割合意」か「公的支援」の活用へ舵を切るべきである
結論を申し上げます。就業規則や退職金規定がある場合、退職金が払えない状況を放置することは、経営者にとって最大の法的リスクとなります。直ちに「誠実な交渉による分割払いの合意」を取り付けるか、あるいは会社の存続が危うい場合は「未払賃金立替払制度」の活用を視野に入れた法的整理を検討すべきです。
退職金未払い問題において、この結論が絶対である理由は以下の3点に集約されます。
- 「賃金後払い」としての法的拘束力: 判例上、退職金は「後払い賃金」の性格を持つと解釈されています。規定がある以上、会社の赤字や資金繰りを理由とした一方的な「不払い」や「減額」は認められず、労働基準法第24条(賃金全額払いの原則)違反に問われる可能性があります。
- 高額な「遅延損害金」の発生: 退職金が期日までに支払われない場合、会社は年利6%、さらに退職した従業員が提訴した場合には「賃金支払確保法」に基づき年14.6%という、極めて高利な遅延損害金を課されるリスクがあります。
- 刑事罰と企業名の公表: 悪質な未払いが続けば、30万円以下の罰金といった刑事罰の対象となるだけでなく、労働基準監督署による是正勧告や、最悪の場合はブラック企業として社名が公表され、採用や銀行融資に致命的なダメージを与えます。
「ない袖は振れない」という理屈は通用しません。法的な義務として「いつ、どのように払うのか」を形にするための行動が、経営者に求められる最低限の責務です。
なぜ退職金問題は他の債務よりも「優先度」が高く、かつ「危険」なのか
なぜ、銀行への返済や仕入れ先への支払い以上に、退職金問題の処理を優先すべきなのか。そこには、労働者保護を目的とした強力な法的盾と、経営者が負うべき重い責任があります。
① 「就業規則」は法的契約そのものである
「うちは中小企業だから、規定があっても柔軟に変えられる」という考えは誤りです。就業規則に退職金の算定式や支給時期が明記されている場合、それは個々の従業員との労働契約の内容になります。これを従業員の同意なく不利益に変更することは「労働契約法」で厳格に制限されており、払えないからといって勝手に規定を消去することはできません。
② 労働基準監督署の強力な介入
退職金が支払われない従業員が労働基準監督署に駆け込んだ場合、監督官は速やかに調査に入ります。これは銀行の催促とは比較にならない強制力を持ちます。是正勧告に従わない場合、送検の可能性もゼロではありません。経営者にとって、行政を敵に回すことは、事業継続の道を自ら閉ざすことに等しいのです。
③ 「未払賃金立替払制度」という救済の存在
日本には、会社が倒産(事実上の倒産を含む)して退職金が払えない場合に、国(労働者健康安全機構)がその一部を立て替えて支払う「未払賃金立替払制度」があります。この制度があるからこそ、経営者が一人で抱え込み、闇金に手を出したり夜逃げしたりする必要はないのです。制度を活用するためには「破産」や「認定」が必要ですが、これを知っているか否かが経営者の運命を分けます。
未払い問題で「地獄を見た企業」と「信頼を守り抜いた企業」
現場で実際に起きた対照的な3つの事例から、経営者の判断が招く結末を浮き彫りにします。
【ケース1:説明を拒否し、遅延損害金で負債が膨れ上がった製造業】
- 状況: 工場長が退職。規定の退職金500万円に対し、手元には100万円しかなかった。社長は「今は苦しいから待ってくれ」とだけ言い、具体的な計画を示さなかった。
- 経過: 憤慨した元工場長が弁護士を雇い、提訴。裁判所は「賃金支払確保法」に基づき、年14.6%の遅延損害金を認めた。
- 結果: 2年間の係争の末、元々の500万円に加えて約150万円の損害金と弁護士費用を支払う羽目に。結局、主力設備を売却して支払い、工場は操業停止に追い込まれました。
【ケース2:誠実な「分割合意」で、会社と関係を守った小売店】
- 状況: 長年勤めた店長が退職。退職金300万円の支払いが、新店舗の出費と重なり困難に。
- 対応: 社長は退職の3ヶ月前から「今のキャッシュフローでは一括払いが難しい」と正直に打ち明け、毎月の収支表を見せて説明。
- 解決策: 「頭金50万円、残りを月々10万円の25回払い、かつ完済時には上乗せ金を支払う」という公正証書を作成し合意。
- 結果: 分割払いを完済。元店長は「誠実に対応してくれた」と感謝し、今でもアドバイザーとして会社を支えています。
【ケース3:制度を活用し、従業員の生活を守った倒産寸前の建設会社】
- 状況: 巨額の焦げ付きが発生し、倒産が不可避に。従業員10名への退職金が総額2,000万円未払い。
- 対応: 弁護士に相談し、自己破産の手続きを開始。同時に「未払賃金立替払制度」の申請を速やかに行った。
- 結果: 国が退職金の8割(上限あり)を立て替えて従業員に直接支払った。経営者個人は資産を失ったものの、従業員が路頭に迷う事態は回避され、刑事責任を問われることもありませんでした。
関連記事:建設業の資金繰りを改善するファクタリング活用術|重層下請け構造と支払いズレを解消する経営戦略
退職金が払えないと分かった瞬間に、経営者が取るべき「5つの防衛ステップ」
もし今、退職予定者がいるのに資金の目処が立っていないなら、以下の手順を「戦略的」に進めてください。
① 退職金の「債務額」と「支払期限」を再確認する
まずは就業規則を読み込み、正確にいくら支払う必要があるのか計算してください。「だいたいこれくらい」という曖昧な把握が、交渉の失敗を招きます。また、多くの規定では「退職から1ヶ月以内」など期限が定められています。その期限を1日でも過ぎると「遅延」となることを自覚してください。
② 本人に「正直に」かつ「書面で」交渉する
一括払いが難しい場合、最も有効なのは「分割払い」の合意です。
- 誠実な開示: 会社の決算書や試算表を見せ、支払う意思はあるが、一括では事業が継続できなくなるリスクを伝えます。
- 公正証書の作成: 「いつまでに全額払う」という約束を公証役場で「公正証書」にすることで、従業員側に「いざとなったら差し押さえができる」という安心感(担保)を与え、合意を取り付けやすくします。
③ 「中退共(中小企業退職金共済)」の解約返戻金や貸付を確認する
もし中退共に加入しているなら、そこから直接支払われるため問題ありません。しかし、独自の積み立てをしている場合や、一部を中退共、一部を自社でという形にしている場合、中退共の「退職金貸付制度」などが利用できないか確認してください。
④ 資産の売却と「役員報酬のカット」で原資を作る
従業員から見れば、経営者が高級車に乗り続けながら「退職金が払えない」と言うのは納得がいきません。生命保険の解約返戻金、不要な社用車の売却、役員報酬の返上など、経営者が「身を削っている姿」を見せることは、法的な和解交渉においても極めて重要な要素となります。
⑤ 専門弁護士と「未払賃金立替払制度」の検討
どうしても1円も払えない、かつ会社が倒産状態にあるなら、迷わず弁護士に相談してください。前述の立替払制度は、裁判所を通した破産だけでなく、労働基準監督署長が「事実上の倒産」と認定すれば適用されます。従業員に最低限の現金を渡すための「最後の救済措置」です。
FAQ:退職金未払いを巡る「経営者の不安」への回答
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就業規則を書き換えて「退職金制度を廃止」すれば、今の従業員に払わなくて済みますか?
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いいえ。既に働いた期間分に対する退職金の受給権(期待権)は既得権益とみなされます。廃止後の期間分はゼロにできても、過去の期間分を一方的に消すことは不利益変更にあたり、原則として無効です。
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従業員が「一括でなければ認めない」と言ってきたら?
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法的には従業員の主張が正しいです。しかし、「一括で払って会社が倒産すれば、差し押さえる資産も残らない」という現実を粘り強く説明し、分割での和解(あるいは一部の先行支払い)を提案し続けるしかありません。
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退職金の代わりに「会社の備品や車」を譲渡することで相殺できますか?
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本人の「自由な意思による同意」があれば可能ですが、賃金の現物払いは原則禁止されているため、非常に慎重な書面作成が必要です。
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自己破産しても、退職金の支払い義務は残りますか?
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法人が破産すれば、法人の債務(退職金)は消滅します。ただし、立替払制度でカバーしきれない分について、経営者が「連帯保証」していたり、悪質な未払いと判断されたりすると、経営者個人の責任を問われる可能性があります。
まとめ:誠実な解決こそが、経営者の「最後の尊厳」と「会社の未来」を守る
退職金が払えないという現実は、経営者にとって最大の屈辱であり、恐怖かもしれません。しかし、そこから目を逸らして沈黙することは、事態を100倍悪化させます。
本記事の総括:
- 法的責任の自覚: 退職金は「恩恵」ではなく「法的債務」である。
- 早期の合意形成: 公正証書を用いた分割払いは、労使双方を守る現実的な解である。
- 公的制度の活用: 絶望する前に「未払賃金立替払制度」というセーフティネットを頼る。
- 誠実な姿勢: 経営者が身を削る姿勢こそが、法的な紛争を回避する最大の武器になる。
従業員を笑顔で送り出せなかったとしても、少なくとも「泥沼の裁判」や「刑事罰」を避け、従業員が次の人生を歩み出せるだけの道筋を作ることはできます。
あなたは一人で悩む必要はありません。弁護士や社労士、あるいは労働局の相談窓口は、こうした危機の際のサポーターでもあります。一刻も早く現状を把握し、誠実な交渉の一歩を踏み出してください。その勇気が、あなた自身と、これまで会社を支えてくれた人々を救うことになります。
「ちょっと話を聞いてみたい」方も大歓迎!
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